Cthulhu Peoples(あ行)






ヘンリー・アーミティッジ

(Henri Armitage/ヘンリー・アーミテイジ)

アーミティッジ教授
1855〜20世紀前半?
アメリカ、マサチューセッツ州アーカム?

 アーカムミスカトニック大学の図書館長。ミスカトニック大学文学修士、プリンストン大学哲学博士、ジョンズ・ホプキンス大学文学博士の学位を持つ博学の徒でもある。

 1928年、ミスカトニック大学図書館の『ネクロノミコン』を閲覧しにきたウィルバー・ウェイトリーの企みを看破し、その悍ましい正体を知った事から、ウィルバーの日記や大学の魔術書を解読して得た呪文によってウィルバーの双子のを消滅させ、ヨグ=ソトースと旧支配者を召喚する儀式を阻止した。

 没年は不明だが、フリッツ・ライバーの『アーカムそして星の世界へ(The Arkham and the Stars)』によると、ミスカトニック大学の新しい本館の裏にある墓地に葬られたらしい。

 H・P・ラヴクラフト『ダニッチの怪(The Dunwich Horror)』


アタル

(Atal/エイタール)

特になし
不明
『夢の国』、ウルタール

 ウルタールの〈古のもの〉の神殿の神官。ラヴクラフトの『夢の国』諸作品の狂言回し的存在である。

 ウルタールの町にある宿屋の息子として生まれ、幼児期に『ウルタールの猫(Cats of Ulthar)』で、猫達が奇怪な儀式を行うのを目撃する。その後、『蕃神(The Other Gods)』において賢人バルザイに師事し、大地の神々を目にせんと目論むバルザイのハテグ=クラへの旅に同行し、師の凄絶な最後に立ち会う。
 生還した彼は300年以上もの年月を生き、『未知なるカダスを夢に求めて(The Dream Quest of Unknown Kadath)』では、ウルタールの〈古のもの〉の神殿を訪れたランドルフ・カーターに、未知なるカダスについての知識を与えた。

 H・P・ラヴクラフト『ウルタールの猫(The Cats of Ulthar)』
          『蕃神(The Other Gods)』
          『未知なるカダスを夢に求めて(The Dream Quest of Unknown Kadath)』


アブドゥル・アルハザード

(Abdul Alhazred/アブドゥル・アルハズレッド)

狂える詩人、狂えるアラブ人
8世紀頃(〜738)
アラビア半島南部、イエメン、サヌア

 神話中最大の魔書『ネクロノミコン(Necronomicon)』の著者。尤も『ネクロノミコン』は『死者の掟の書』を意味するギリシア語題であり、彼がこの書を記した時の原題は、アラブで魔物の声と考えられていた虫の声を意味する『アル・アジフ(al Azif)』あるいは『キターブ=アル・アジフ(Kitab al Azif)』である。
 その業績ゆえに、ラヴクラフトの『ネクロノミコンの歴史(History of Necronomicon)』の中で詳しい経歴が語られており、神話中、最も経歴がはっきりしている人物の一人となっている。

 彼はイスラム帝国ウマイヤ朝時代、イエメンのサヌアに生を受けた。少年時代については不明だが、成長してからはバビロンの廃虚やメンフィスの地下洞窟を訪れ、アラビア半島南部に広がるロバ・エル・カリイエ(Roba El Khaliyey、“虚空”を意味し、現在のルブアルハリ砂漠を指す)砂漠、あるいはダーナ(Dahna、真紅)砂漠で十年間独りきりで過ごした。恐らく、この時期に円柱都市イラム無名都市を目にしているものと思われる。
 晩年はウマイヤ朝の首都ダマスカスに住み、その地で『アル・アジフ(al-Azif)』を著した。表向きはイスラム教徒ではあったが、実際にはクトゥルーヨグ=ソトースを崇拝していたという。
 紀元738年の、彼の最期、あるいは消失に関しては数多くの恐ろしくも矛盾する事が伝えられている。12世紀の伝記学者イブン・カリカンによると、白昼の通りで目に見えない怪物に捕らえられ、恐怖に立ち竦む人々の目の前で貪り食われたという。ちなみにダーレスの『ネイランド・コラムの記録(The Keeper of the Key)』によると、怪物に食われたというのはまやかしで、実際は無名都市に連れてこられ、そこで恐ろしい拷問を受けた末に果てたとしている。どちらにせよ、恐らく『ネクロノミコン』の中で禁断の知識を明らかにした報いを受けたものと思われる。

 ちなみに『アブドゥル・アルハザード』という名は、ラヴクラフトが五歳の時『アラビアン・ナイト』を読み、アラビア人になりがった時に近くの大人に考えて貰ったもので、イスラム式の名としては多少誤りであるらしい。「アブドゥル」は「奴隷(Abd)」と定冠詞alの合成で「○○(神の名、異称)の下僕」という意味であり、「アルハザード」の「アル(al)」も同じ定冠詞なので二重がさねになるからである。正式に表記するなら「アブドゥル・ハザード(Abd al-Hazred)」となるだろう。
 TRPG『クトゥルフの呼び声(The Call of Cthulhu)』ではアブドゥル・アルハザードの正式な名前について『アブドゥル・アズラッド(Abd al-Azrad)』だったとする説を紹介している。“Azrad”は“zarada(首を絞め、むさぼり喰う)”の活用であり、「“首を絞めるもの/むさぼり喰うもの(Azrad)”の下僕」の意になるというのである。この説が正しいとすれば、生まれ持った名ではなく、クトゥルーヨグ=ソトースの崇拝者となったのちに改名した可能性もあるかもしれない。

 なお、「狂える詩人」と呼ばれるが、アラビアでは古代から、詩人(シャーイル)は鬼神(ジン)から霊感を受けて詩や託宣を下すと考えられており、アブドゥル・アルハザードが、何者かからの霊感に突き動かされるようにして『キターブ=アル・アジフ』を著したことを窺わせる。

 H・P・ラヴクラフト『無名都市(The Nameless City)』
           『ネクロノミコンの歴史(The History of Necronomicon)』


アンゲコク

(不明/特になし)

エスキモーの呪術祭司
19世紀頃?
グリーンランド西部

 グリーンランド西部海岸付近の高地に住む、とあるイヌイット(エスキモー)部族の祭司。彼の部族は背筋も凍るほどの徹底した残忍さと忌まわしさを持つ信仰を行い、この信仰は他の部族ではほとんど知られておらず、ただ世界の創造以前の久遠の太古から伝わるものとしか知られていない。
 彼らが崇拝しているのは「トルナスク(Tornask)」と呼ばれる古の至高の悪魔であるが、その姿を表した石の浅浮き彫り、礼拝において唱えられる文句

フングルイ  ムグルウナフ  クトゥルー  ルルイエ  ウガフナグル  フタグン

から、その正体はクトゥルーであろうと推測される。アンゲコクはプリンストン大学からグリーンランドとアイスランドへの遠征隊に参加したウェブ教授にこの呪文を教えた。

 ちなみに、『アンゲコク』というのは個人名ではないかも知れない。イヌイットの間には『アンガコック(Angakoq)』と呼ばれる魔術師が存在し、人知を超えたものの霊や、物体や他の生物の精霊が憑依する、あるいはその力を借りる事によって魔力を発揮すると言われている。『アンゲコク』というのは「アンガコック」を指しているのかも知れない。
 また、「トルナスク」もアンガコックに加護を与える霊「トルナック(tornaq)」をもじったものかも知れない。クトゥルーの思念を霊ととらえたものだろうか。

 H・P・ラヴクラフト『クトゥルーの呼び声(The Call of Cthulhu)』


イラノン

(Iranon/特になし)

 
 
アイラ?

  美の都アイラを探し求めて訪ねて各地をさまよい歩く歌い手。彼の言によると、彼はアイラの王子として生まれ育ち、アイラの都の美しさをあまさず目にしながら過ごしたが、流刑に処されたという。
 アイラで学びとった歌を歌い、幼い頃の記憶に残ったもので美を創りながら、還りつくべきアイラを探し求めて旅をする。クサリ河の流れるナルトスで暮らし、ヒトコブラクダ人のたむろする市場のあるシナラへ旅立ったのを嚆矢として、クサリ河を下ったジャレン、大瀑布の下にあるステテロスサルナスの跡地に広がる大湿原、アイ河に沿ったトゥラア、イラーネック、カダテロン、ロマールのオラトーエ、花崗岩都市テロス、リュートと舞踏の都市オオナイ、キュダトリアの都市、ブナジク砂漠の彼方の地の都市といった土地を訪ね歩いた。しかし、どの土地も至上の美と夢のアイラにはほど遠く、彼の夢と歌が受け入れられることはなかった。

 蔓の頭飾りをつけた黄色の髪を没薬で輝かせ、紫のローブをまとった美しい若者であり、美を歌いつつ放浪の旅を続けながらも僅かも歳を重ねることはなかった。だが、ある時、アイラの真実を知る。アイライラノンの夢の中にしか存在しない幻想の地だったのだ。その夜、襤褸になったローブをまとって枯れた蔓の葉で頭を飾った年老いた者が、死を招く泥沼へと歩んでいった。

 己の夢を受け入れる至上の美に行き着けないことを知って命を失ったイラノンは、夕映えの都である故郷に還りついたランドルフ・カーターなどに比べると不幸せな終わりにも見えるが、夢が理解される美しい都市の黄金の円蓋をあおぐように前方を見つめながら死へと歩み去ったイラノンは、地上を棄てて彼岸に見たアイラへと旅立ったのかも知れない。


 H・P・ラヴクラフト『イラノンの探究(The Quest of Iranon)』


ウェイトリー兄弟

(Whateley Brothers/ホェイトリー兄弟)

アメリカ、マサチューセッツ州ダニッチ

 呪われた寒村ダニッチで、ウェイトリ家の娘、ラヴィニア・ウェイトリーの産んだヨグ=ソトースの落とし子たる双子。

 兄であるウィルバー・ウェイトリー(Wilber Whateley)はより人間の要素が強く、人間に近い姿をしていた。もっとも、異常に成長が早くて、人間にしては大柄で毛深かった。さらに、服に隠れたその地肌は、胸は鰐のような硬い皮、背中は蛇のような黄色と黒の斑である。そして、黒いごわごわした毛にびっしり覆われた下半身には、先端に赤い吸盤のついた緑がかった灰色の触角が生えた腹部、ピンクがかった繊毛に覆われた退化した目らしき物が備わった臀部、先が肉趾になった、恐竜の後脚ににた脚があり、さらに紫色の輪が連なって出来た、象の鼻か触手のようなものが尾のように生えている。呼吸をする度に、循環作用によって触角は緑が濃くなり、尾は黄色や灰白色に変色する。その体液は悪臭のする黄緑色のペンキ状の液体である。
 ヨグ=ソトースから受け継いだ要素がより強く、ウィルバーが死ぬまで家の中に閉じ込められて育てられていた。『ネクロノミコン』に記される〈旧支配者〉と同様、普通は人間の目には見えないが、卵のような形をした、ゼリー状の巨大な灰色の体を持ち、青や紫の輪のような模様が幾つもついている。豚の頭のような形をした何十本もの足で歩き、側部にはストーブの煙突ほどもある尾か鼻(恐らくウィルバーの尾と同様の器官)が何十本も生えている。こうした、蛸とも百足とも蜘蛛ともつかない形状でありながら、その頂きには紛れもない、ただし恐ろしく巨大な人間の顔がついているのである。

 彼らは、祖父である、老ウェイトリーが外世界とこの世界の門を開き、ヨグ=ソトースの力を用いて、地球を〈旧支配者〉の支配する局面に引きずりこむ計画のために生み出した存在である。ヨグ=ソトースの性質については諸説あるが、〈旧支配者〉の潜む領域の門の鑰にして守護者たるヨグ=ソトースの申し子にして、この世界の人間の要素も併せ持つ彼らが、その門を開く力を秘めていたであろう事は容易に想像できる。
 しかし、人間に近かったウィルバーは異界の血を嫌った犬に噛み殺され、この世界にありえざる異界の性質を多く備えていたは、ヘンリー・アーミティッジ博士の発見した呪文によってこの世界に存在する力を奪われ、呆気なく消滅した。

 ちなみに、ウェイトリー兄弟の、処女懐胎による誕生から丘の上で父なる神の名を叫びながらの死までの一生は、イエス・キリスト伝説のパロディであるという説もある。

 H・P・ラヴクラフト『ダニッチの怪(The Dunwich Horror)』


エイボン

(Eivon/特になし)

特になし
超古代(氷河期以前)
ヒューペルボリア、ムー・トゥーラン

 古代ヒューペルボリアの北の半島、ムー・トゥーランの魔道士。ヒューペルボリアを滅ぼした氷河期到来の一世紀ほど前に活躍した人物である。

 超古代の人物ゆえに、彼の細かい経歴ははっきりしていない。魔道士エヴァグの霊よりルリム・シャイコース襲来の有様を聞いた、悪魔ファロールを召喚した、『ナコト写本』の謎を解くために精神体となって暗黒星シャガイを訪れた、などの断片的な話が伝わっている。

 中でも特に重要な事は、『エイボンの書』を著した事とツァトゥグァ崇拝であろう。彼は理性と力を研究した末にツァトゥグァを拝めるようになり、崇拝と生贄を捧げ続けた。しかし、女神 イホウンデーへの信仰が絶大だった当時のヒューペルボリアでは、ツァトゥグァ崇拝は邪教とされており、彼はイホウンデー神殿の異端審問官モルギに狙われる事になる。ツァトゥグァより危険を伝えられたエイボンは、ツァトゥグァより与えられた金属板を用いてサイクラノーシュ(土星)へと逃れた。
 その後、エイボンは彼を追ってきたモルギと共にサイクラノーシュを放浪し、最終的にはフジウルクォイグムンズハーツァトゥグァを崇拝するイドヒームの間で預言者となったという。

 C・A・スミス『魔道士エイボン(The Door to Saturn)』
       『白蛆の襲来(The Coming of the White Worm)』
 L・カーター『シャガイ(Shaggai)』


サイモン・オーン

(Simon Orne/シモン・オーン)

特になし
1600年代?〜1928年
米国マサチューセッツ州セーレム?

 セーレムの住人であり、ジョゼフ・カーウィンエドワード・ハッチンソンの友人で、共有地のあたりで話し込んだりたがいに訪ねあったりと頻繁な交流を持っていた。
 セーレムの魔女狩りが起こって二人が姿を消した後もセーレムに留まり続けたが、やがて、歳を取らないことが人目を引くようになり、1720年に姿を消した。しかし、30年後にサイモンに瓜二つの、彼の息子と名乗るジェディダイア・オーンなる人物が現れ、よく知られるサイモンの筆跡による書類を根拠に財産の相続を認められ、セーレムに住みついた。しかし、1771年にプロヴィデンスの自由民たちからトマス・バーナード神父を始めとする人物に手紙が送られたことで、何処ともしれない土地に逐電した。チャールズ・デクスター・ウォードサイモンとジェディダイアの筆跡が同一であり、彼らが親子ではなく同一人物であることを証明した。

 その後のサイモンの足取りは詳しくは分からないが、1928年2月11日、アラン博士ことジョゼフ・カーウィン宛てに届いた手紙から、その時点で彼がプラハの旧市街地区のクライン街11番地に住んでいたことが推測される。その後、プラハの最も古い地区で夜間、ある家屋が倒壊し、誰もが思い出せる限り古くからその家で一人暮らしを営んでいた「ヨセフ・ナデー」なる評判の良くない老人が行方不明になったことが、新聞で報じられている。

 H・P・ラヴクラフト『チャールズ・デクスター・ウォード事件(The Case of Charles Dexter Ward)』